過去の自分に会いに行く
こんにちは、こんばんは、唯たんに(タダタンニ)です。
今回はこんなタイトル…
私は今年三月まで2年ほど大阪に一人暮らしをしながら専門学校で漫画の事を学んでいました。
卒業後地元に帰ってきたんですが…そこで思った事があったので綴ってみます。
地元に帰ってきて、まず1番に思ったのがお世話になってたのになかなか疎遠で会えず終いだった方々に会いたいなーという事でした。過去の自分、つまり和歌山で高校1年生まで育ってきた中でお世話になってきた習い事の先生だったりバイト先の主婦さんだったり、学校の先生、思い返せば沢山いるんですけど…
どれも漫画家を目指す前に出会ってた方々、友達じゃなくて、でも皆さん私を知ってくれていた方々です。
勿論、今現在その方々が元気でいらっしゃるのか、何をされてるのか知りたいのもあります。今、私はこうしてどんな道を歩んでるよ、と報告したいのも。
しかし、最近思ったのが"昔の自分がどんな風だったのか"が無性に気になりました。人は今を生きてる訳ですからやっぱり自分のその時の行動にはなかなか客観的になれないものです。振り返って客観視はよくするんですけどね。
自分の過去の記憶は結局自分視点でしかなくて、その時は理不尽だと思って分からなかったり、つまずいたりしてた事が時の流れで答え合わせが出来るなーと感じたんですね。
それはやっぱり人から教えてもらうことが1番やりやすい事だと思うんです。
家族や昔の恋人、友人なんかも勿論それに値します。でもそんなに深い関わりじゃなかった方からも意外と話してみると違う視点や物語が広がってくるかなーと。
私は今1番会いたい人が2人いるんですね。
小学生から中学3年生まで習字を教えてくれていた習字の先生
高校1年生の時初めて漫画の描き方を教えて下さったイラストレーターの方
今日イラストレーターの先生にやっと3年ぶりにお会い出来ました。というのも3年会えなかったのは"きっかけ"が無かったからなんですが。
今回、雑誌に初掲載されることで連絡する事が出来たのです。
ですのでキッカケは大事だなーと本当に思います。そしてキッカケがある内に行動するのみだなとも。
いつか会いに行こう、じゃ何時まで経ってもその時になってくれません。きっと永遠にいつかのままな気がします。人は何時死ぬかも分かりませんから、気にかかってることがあるんでしたら連絡だけ入れてみるのもいいかもしれませんね。
そのまま自分の人生の歴史の中に忘れ去られて大切な事だったかもしれないのに取りこぼしてるかもしれない…
そんなの勿体ないなとやっぱり思うのです。
だからもう1人の習字の先生にも連絡しようと思っています…
過去の自分に会いに行くつもりで…私の知らない自分の姿を教えてもらいたいと思います
タイトル回収ですね…
凄く語り口調になってしまいましたが、毎回こんな感じだと思います
何かこれを読んで頂いた方に感じていただける事があれば幸いです